Gute Reise!~良い旅を
旅行記です。 ※過去に別のブログサイトに公開していたものを含みます。
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インデックス
ホームステイ初体験の話@ミュンヘン(1993年)

ウィーンひとり暮らしの話(1995年)

伊勢志摩・エステリゾートの話

秋吉台・萩旅行の話

岡山・ドイツ村旅行の話。

ビーチリゾート~サイパン編

ビーチ・リゾートの話~グアム編

香港&マカオ、真贋自己責任旅行

韓国・垢擦りエステでソウルフルな旅

穂高・松本、避暑っていうか被暑旅行

TokyoWalker

高野山の話(2007年7月)

英語で暮らす話~イギリス・ブライトン(1995)

雑記

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英語で暮らす話、その12「愛すべき田園風景。そして最終回。」
ブライトン滞在中のとある週末に、学校で出会った友人たちと近郊の美しい町まで遠足に行った。

同じホームステイ先に滞在していたエリカ(すでに前述したブラジル出身の姐御)に誘われた。残念ながらワタシはイギリスの観光ガイドブックを持ってなかったので、エリカがブラジルから持ってきた本を見て、ブライトンからアクセス至便の町を選んで計画してくれた。「レウィス」と聞こえたのでそう覚えていたが、改めて調べてみたら、日本語では「ルイス」と書くのがよさそうである。

■ルイス(Lewes)について。
http://www.tripadvisor.jp/Tourism-g186275-Lewes_East_Sussex_England-Vacations.html

古城や石畳など、中世ヨーロッパの雰囲気をたっぷり味わえる町並みとなっている。また緑も豊かで、リスが石塀の上を走る姿などがとても可愛らしかった。

エリカのブラジル仲間の他、スペインから来た女子がいたのだが(結局ラテンチーム)、彼女には今でも心苦しくなる思い出がある。実は彼女に、持って来ていたカメラでの撮影を頼まれたのだが、なんとワタシはシャッター直後にうっかり地面に落としてしまったのだ。

あぁ、申し訳ないことをしたものだ・・・撮影を引き受けたことを、今でも悔やまれる。

彼女だってまた、遠いスペインから語学研修でやってきた仲間。おそらく帰国後に写真を眺めることを、心底、楽しみにしていただろうに・・・

それなのに彼女は寛大にも「気にしなくていいよ。」と何度も言ってくれた。

石の道だったので、カメラへの衝撃も半端ではなかったようで、びっくりするほど大破していた。そんなバラバラのカメラを手に、「気にしなくていいよ」と言われても、あたしゃ気にせずにはいられない。

・・・風情ある石畳ではあるが、その時ばかりはさすがのワタシも中世の町を憎らしく思ったものである。(いや、不注意な自分がワルイ。)

そんな悲しい思い出があるものの、ルイスはやはりまた訪れてみたい町ではある。


その日の午後は、ワタシはエリカ一行と別行動を取らせてもらい、電車でソールズベリー駅に移動した。その駅は、ストーンヘンジという古代遺跡の最寄り駅となっている。半日しかなかったが、ソールズベリーはルイスやブライトンと同じく南イギリスにあるということで、多分そんなに時間掛からずに行けるし、夜までにはステイ先に帰れるだろうと思ったからである。

ともかく、ガイドブックを持ってなかったので、極端に情報がなかった・・・たよりは手元のトーマスクックのみ。あとは学校で仲良くなった日本人の姉さんにガイドブックをチラ見させてもらった記憶をたよりに、とりあえずソールズベリーに行ってみた。

トーマスクックの通りに電車を乗り継ぎ、スムーズに到着。

駅からバスで行けるようだったが、数少ない本数の最終便がすでに出発していたため、歩いていくことにした。バス通りを進んで行けば、ストーンヘンジに着くだろうという安易な発想だった。(テキトー)

間違いだった。

いくら道を進んでも、ちっともそれらしき場所に到着しない・・・そのうち、道路の両脇にあった住宅も減ってきて、なだらかに上っていた道の歩道からは、低地の放牧地を眺めることができるようになっていた。遠くに羊が群れていた。のどかなイギリスの田園風景である。

景色は美しいが、非常に心細い。

そして1時間半ほど歩いた頃、ついに歩道が途切れ、「Autos only」(車だけよ)の看板の立つところまで来てしまった。


なんだと?

この1時間半はなんやったんや?

また同じだけの時間掛けて、駅まで戻らなあかんのか?

わき起こる自己ツッコミの言葉を胸の底にしまいこみ、とりあえずソールズベリーの駅まで黙々と降りて行った。何の収穫もなく、もと来た道を戻る切なさといったら・・・午前中にスペイン女子のカメラを壊した後の出来事としては、あまりにダメージが大きかった。

そしてワタシは全てのイギリス観光中の旅行者に訴えたい。

「ストーンヘンジへは、歩いて行くのはムリです」と。

ソールズベリーからブライトンまでは、海沿いを走る電車に乗るのだが、町の明かりが遠くブライトンまで湾曲する景色は情感たっぷりで、切なくなるほど美しいものだった。

カメラを壊してなかったとしても、ストーンヘンジに行けたとしても、やっぱり切なさを感じさせる美しさだったと思う。


英語で暮らす話、その11「学校のこと、後編」
久方ぶりに、このブログを更新することとなる。

タイトルを「学校、前編」としたためておきながら、その続きを書くのが1年後。いかん、これはいけない。

今度からすべて1話完結を思わせるタイトルにしておこう。(そういう問題でもない。)

さて、学校では先生も印象的だったが、クラスメートもバラエティ豊かで、いまでも記憶に残る面々であった。

先述した香港人の女子は、同じアジア人ということで、授業中はよく意見を同じくする仲間であった。顔がジャッキーチェンによく似ていたからか、なんだか最初から親しみを感じていた。(アジアという枠外の親近感。)ワタシは彼女に、自分の名前を漢字で書いてみせて、中国風の読み方を教えてもらった。ワタシは広東語で「シェン・ヨウシャン」と言うらしい。このブログ上で名乗っている「モリユ」だと、「シェン・ヨウ」となるのか。そうか、そうか。(だからナニ)

年齢も様々だった。一番若年だったスイス人の16歳の女の子は、その学校に1~2年ほどすでに通っていたとのこと。(ワタシは2週間だけだったが。)彼女はそこで出会う各国のクラスメートに、愛の告白の言葉を教えてもらっており、フランス語やイタリア語、韓国語、中国語、日本語の告白まで可能だった。彼女が日本語で覚えたのは「好きだよ~」だった。「これでナニ人を好きになろうと、私は気持ちを伝えることができるのだ」と豪語していた。ティーンエイジャーの女子の頭の中は、国籍関わらず恋愛モードなのだろう。そうだろう、そうだろう。(あくまでイメージ)

最後に、ジャネットのことを書いておこうとおもう。スイス人で、ワタシとは同い年であった。名前の綴りはフランス風、読み方は英語風なのだが、ドイツ系スイス人である。ワタシも彼女も、あまり英語をうまく話せなかったのに、不思議と気が合った。同じホームステイ先に滞在していたブラジル人のエリカともしょっちゅう飲み歩いていたが、その合間を縫うようにして、ジャネットとは近くのカフェでビールやコーヒーを飲みながらいろんな話をした。エリカと飲みに行くと、同じラテン系の仲間がたくさん集まって賑やかだったが、ジャネットとはナゼかいつも二人で時間を過ごしていた。

イギリスやヨーロッパでのすべての行程を終え(というか持参金を使い果たし)、帰国の途に着くとなった時、ワタシはスイスのチューリヒから日本への飛行機に乗った。その前にジャネットと待ち合わせをし、彼女のカレ殿、トーマスも一緒に、町の観光案内をして頂いた。トーマスは、晩ご飯にチーズフォンデュをごちそうしてくれた。なんて気前の良いヤツなんだ、トーマス。彼は間違いなくいいヤツだ。(気前の良さに人柄を見る安易なワタシ。)

さらに彼はおつりを全部、ワタシにくれた。そしてそのお金でチョコレートでも買いなさいと言った。

嬉しかった。(コドモか)

そしてそのチョコレートを飛行機の中で全部食べてしまい、ワタシは鼻血を出した。(思い出した。)

もとい、ジャネットは今でもワタシのことを忘れずにいてくれている。つい先週も「1ヶ月の休暇を取り、キューバで3週間過ごしたあと、マヨルカ島(スペイン)に来ている。ここで1週間過ごす予定」との非常に羨ましい絵はがきを送ってくれた。そうやって旅に出るごと、または毎年のクリスマスには、素敵なポストカードを送ってくれるのだった。

そしてハガキの最後には、いつも必ず「スイスに来ることがあったら、ぜひとも私の家に来てくれ」と、一筆、書いてくれる。

わずか2週間、限られた時間を共にしただけなのに、こうやって大切に思い出してくれる友人と出会えたということ、このことを感謝せずにはいられない。スイスに行くことがあったら、本当に訪ねてみよう。そして彼女が日本に来る機会があったとしたら、ワタシもぜひ観光案内をさせてほしいと思う。そして寿司をごちそうしようと思う。回ってるヤツ。(気前・・・)
英語で暮らす話、その10「学校のこと、前編」
そろそろ本題に入らねばならない。

タイトルがすでに「その10」とナンバリングされているにも関わらず、未だ目的を達していないとはどういうことなのだろう。(自問)

それだけ濃厚な2週間だったということサ。(自答)

そもそも、なんで唐突にイギリスに渡ったのかというと、短期の英語講習を受けるだめだった。専門であったドイツ語もままならない状態だったというのに。(エラソウに書くな。)モリユはドイツ語学科の学生である前に、外国語学部の学生という大分類に入る。外国語といえば、残念ながら公用語は英語となっている。

英語、ホント大変だった。英語を習得する努力よりも、日本語を公用語とする活動に身を投じた方がヨカッタのかも知れない。←極論という。

日本人にありがちな結果として、やはりペーパーテストで高得点を出してしまったので、ペラペーラのクラスに入れられてしまった。教務係のスタッフにランクを下げてくれと願い出たのだが、その時に関しては「大丈夫、ダイジョーブ」などと根拠の無い太鼓判を押され、テスト通りのクラスでスパルタ英会話レッスンの日々となってしまった。

しかし、お陰でステキなクラスメートと出会うことになる。ジャネットというドイツ語系スイス人である。彼女については、後ほど詳しく書きたいと思う。今でも楽しくお手紙をやり取りする友である。

担任の先生はティムという元気の良いイギリス人で、英語に関しては全くのフニャララ(意味分からん)だったワタシでもよく理解できるご指導をしてくださった。しかし、「ダイジョーブ」発言の教務スタッフ同様、オシの強い先生で、特にモノゴトをウヤムヤにしないことに関しての情熱はすごかった。

例えば、日本人の「恥ずかしがり気質」を象徴するような英文を作った時のこと。「褒められて恥ずかしい」という内容の文章を作ったところ、ティム師匠は執拗に「なんでや?」と問いただすのだった。作文者であるワタシは、褒められて恥ずかしいという感情の説明が、どうにもできなかった。クラスメートの香港人の女の子は、激しく同調してくれた。やはり同じ湿気たっぷりモンスーン気候で育った人間だからだろうか。(憶測)すると、安易に「分かるよ~」と言ってしまった香港ギャルにまで「なんでや?」と食い下がるティム師匠。シツコイ先生だった。しかし結局のところ、アジア人ふたり掛かりでも、どうしてもティム師匠にこの感情について理解していただくことは不可能であった。彼は今でも「褒められて恥ずかしがるアジア人」に対するギモンを抱いたまま暮らしているのだろうか。

学校の話、つづく。
英語で暮らす話、その9「同居人エリカのこと」
同じホームステイ先に滞在していたお姉さんの話を書いておこう。

そのお姉さんはエリカといい、ワタシのラテンに対するイメージ通りの、明るいブラジリアン・ギャルだった。

エリカとは、ほんの2週間を一緒に過ごしただけだが、今でも彼女が地球の裏側で生活していることを考えるとワクワクしてしまうほど、ワタシには楽しくて素敵な思い出をたくさん頂いた女性だった。ワタシよりも10歳以上のネーサンだったが、決して他人に気遣いさせるような人ではなく、気さくに誰でも迎え入れてくれるような人であり、また常に高いトコロでテンションを保っている愉快な人であった。ワタシが「いつでも機嫌良く生きていよう」と心がけているのは、このネーサンの影響によるところは大きい。

このネーサンとは、クラスは違っていたが同じ語学学校に通っていたこともあり、毎朝、一緒に通学していた。そして学校が終わって、ステイ先のコービィ宅で一息おやつタイムを入れて、それぞれで宿題を済ませ、夕方6時頃にはパパさんの美味しい晩ご飯&デザートで楽しく食卓を囲む。その後ワタシらは共にビール好きだったこともあり、毎晩、一緒に飲みに出掛けていた。

朝も夜も同じタイミングで出掛けていたので、さすがのコービィ夫妻もきっと「なんだコイツらは」と思っていたに違いない。

もちろん、いつも同じ集いに参加していたワケではなく、繁華街まで一緒に出掛けたら、後はそれぞれの友達のところに合流していた。とはいえ、一緒にパブやバーで飲むことも多かった。エリカは何と行ってもラテン系の人々と集うことが多く、イベントもラテン系のモノによく行っていた。何度か一緒にいったイベントで、ワタシはサルサやサンバを教えてもらった。盆踊りしかできなかったモリユ、ワールドワイドなダンサーになった瞬間である。(ツッコミ不要。)お酒が好きで、音楽が好きで、ダンスが好きで、いつも賑やかにその場を楽しんでいたエリカの周りには、いつでもたくさんの友達が集まっていた。また、エリカを介して知り合った人は国も年齢も千差万別で、彼女の幅の広さを物語っていた。

ある日の飲み会で、お仕事で必要なためにクロアチアから勉強に来ていたオジサンが、自国の内戦状態を悲観し始めた。先ほどまで楽しそうにしていたのに、そのうち、すっかり黙りこんでしまった。当時のクロアチアの内乱状態は本当にひどく、誰もそれに対して声を発することができなかったけど、エリカはだけは臆することなく素直な自分の考えを述べた。「ここ(イギリス)がとても安全だから、それに比べたら自分の国とはいえ戦争をしているところには帰りたくないと思う。でも家族とは早く会いたいし、無事でいることを今すぐにでも知りたいと思う。」と。クロアチア人でも、またブラジル人の意見でもなく、人としての当然の気持ちであり、それをあらゆる国の人が集まった場でごく普通に話ていたことがとても印象的だった。育った国が違っても、接してきた文化が全く違っても、ワタシだけではなく、みんなが彼女と同じように感じていることだった。

機嫌が悪いよりは良い方がいいし、怒ったり泣いたりするよりは笑っている方がいいし、辛いよりは楽しい方がいい。争っているよりは、仲良くしている方がいい。そして、一人でいるよりは、仲間と優しい声を掛け合って暮らすほうがいい。エリカは常にそういう人であり、多少は場違いな雰囲気になることもあったけど、ワタシには本当に居心地の良いネーサンだった。

ありがとう、エリカ。最後に一緒に作った親子丼は、味はともかく( ̄▽ ̄)、作る方が楽しかったぜ。料理なんて全然しない、と言いながらも見事にタマネギを切っていた包丁さばきを、ワタシはいつまでも忘れないから・・・。

あぁ、やっと彼女のことを書くことができた。いったいいつになったら最後まで辿り着くのだろう、イギリス話。まだ学校の話にも及ばない・・・
英語で暮らす話、その8「ホストファミリー、コービィさん家のこと」
夕方に見知らぬ土地で道に迷う・・・これは、人生の路頭に迷うことより差し迫ったストレスであることを断言する。もし生きることに行き詰まっている方がおられたら、ぜひ実践していただきたい。

何を悩んでいたのか忘れるくらい怖い思いをすると思う。

ショック療法と言える。(スパルタ)

さて、夕闇迫る夕刻、何とか辿り着いたコービィさんのお家では、ホストファミリーである30代の若い仲良しご夫婦と、ワタシより1週間ほど早くからホームステイを始めていたブラジル人のねーさんが食卓を囲んで待ってくださっていた。

ミセス・コービィは、メグ・ライアンをぽちゃっとさせた感じの、非常に可愛い女性だった。家でお仕事をされておられるようで、そのお仕事のこともいろいろと話をしてくれたのだが、残念なことに当時の語学力ではしっかりと理解することはできなかった。かといって、今の語学力でも分からないと思うけどさ。(エラソウに書くなよ。)

ミスター・コービィはスラっとした男前で、パパさんというよりは「この家のお兄ちゃん」といった雰囲気の人だった。この人もまたナゾの多い人で、ずっと家にいた。家にいることが「ナゾ」と思われるなんて、彼も気の毒なことである。同居人であるブラジル人のオネーチャンと、「彼は一体ナニモノなのだろう」と、よくコソコソ話したものである。毎日何をしているかというと、料理も掃除も家の修理も、すべて彼が取り仕切っており、つまりはコービィ家の主婦ならぬ主夫だった。ホントはミュージシャンとのことだったが(さすがにこの単語くらいは聞き取れた)、彼が音楽を奏でているところは、ついぞ見た事がない。エア・プレイヤーだったのだろうか。

お二人にはお子さんがおらず、当時より数年前から留学生の受け入れを始めたとのこと。コービィ・ママは、帰宅後のオヤツの時とか夕食後に、時間の許す限りワタシたちのおしゃべりの相手をしてくださった。彼女の幼い頃の体験だとか、ワタシの日本での生活のことだとか、仕事や恋愛の話だとか、あまり英語が分からんワタシを気遣いながらも、たくさんお話を聞かせてくれた。ブラジル人のネーサンも一緒に、3人でよくおしゃべりをしたことを覚えている。

残念ながら、その修練の結果は現在のワタシの英語力に垣間見る事はできない。(だからエラソウに書くなって。)もしかしたら、半分以上テレパシーで理解していたのかも知れない。イッツ、ファジー。オーイェ。←ムダな英語は出てくるクセに。

そういうワケで、朝は各自で勝手に台所で食って、夜はコービィ・パパが美味しい料理をデザートまでこしらえて待っていてくれた。イギリスでなんとも充実した食生活を送れたのは、全てパパさんのおかげである。これはイギリスのホームステイでは、なかなかラッキーなことと思われる。同じクラスのドイツ人の女の子は、ステイ先でご飯食べるのは苦痛だと漏らしていた。ポテトばかり食わされている、しかも塩味もしないとのこと。確かに、パパさんのように毎晩メニューを工夫して、デザートまで作って、しかも美味しいなんてのは、どういう国にしたってラッキーな滞在先だったと思われる。

もひとつラッキーだったのは、ステイ先と学校が、目と鼻の先にだったということ。朝からバスに乗る必要もなく、交通費も節約できた。

それと、もっとラッキーだったのは、同じお家に、同じ時期に、「エリカ」と過ごすことができたことである。

この陽気な同居人であるブラジリアン(元)ギャル・エリカについては、ぜひとも書いておきたい思い出がたくさんある。

つづく


英語で暮らす話、その7「ホストファミリー宅を探す」
途方に暮れて佇んでいたバス停の近くには、大きなサナトリウムがあった。ブライトンは海の町で、昔から保養地として有名だった。そんな歴史もあり、あのような見晴らしの良い高台に、デカデカとサナトリウムがあったのだろう。

とりあえず、ホストファミリーに電話してみた。

モリユ「は、はろー。ディスイズ、ユカ。ナウ、アイム、アット ア バスストップ! ニア ザ サナトリウム!」
日本語訳:こんにちは。ゆかです。今、バス停にいます。サナトリウムの近くです。(と言ったつもり。)

ホストママ「オーユカ!なんちゃらかんたら・・・」
日本語訳:あらユカさん。もうウチの近くよー。晩ご飯も用意してるわよ、待ってるわねー。(と言ったと思う。)

得意のボディランゲージやテレパシーも、電話では無力である。迷っている自分を伝えることができなかった。

仕方なく、引き続き迷うことにした。(号泣)

そうやって迷ってるうちに、町の高台のテッペンまで来てしまった。建物で行き止まりになっていたので、トホホとなりながら引き返そうと振り返ると、美しい海と夕焼け空・・・。まっすぐ海岸へ続く道沿いには、レンガやら石造り、明るい色の漆喰で整えられた洋風建物が続き、その町並みの間から静かで、穏やかな海岸線が見えた。そのもっと向こうのキラキラした水平線は、夕焼け空を照り返していた。

あぁ、素敵。(うっとり)

と、してる場合ではなかった。海風を感じながらフフフンと鼻歌混じりに元のバス停まで坂を下った頃には、夕闇も迫っており、すっかり真っ黒い海となっていた。

これ以上暗くなったら、目印のない民家なんて、もう探せねぇ・・・

焦りながらも、恐らくそこの住人と思われるお年寄りに何度か助けてもらって、メモのような住所を片手に、さらにフラフラと町を彷徨った。

ちなみに彼らがなぜサナトリウムの住人だと判断したかというと、パジャマを着て歩いていたから。(ビックリ)

なんせ、紳士の国に来たと思っているワケだから、最初見た時は「パジャマで歩くのは反則だろう・・・」と衝撃を隠せなかったが、二人、三人と出会う年寄りがみんな寝間着風のカッコをしているので、さすがに道を訪ねるのも怖くなくなっていた。

もうこの道の行き止まりまで行ったら、今晩はあきらめよう・・・今夜はどっかホテルに泊まって、明日学校で場所をちゃんと確認しよう・・・そう諦めかけた時、偶然立ち止まった場所が、ホストファミリーの家だった。忘れもしない、玄関のドアの上に白く書かれた「No.8」。そうやってコービーさんのお宅に辿り着いた時には、辺りはもうすっかり街頭の明かりが目立つほどの暗さだった。


英語で暮らす話、その6「ブライトンで途方に暮れる」
ロンドンの1日観光を楽しんだ後、 ついにホームステイ先の町・ブライトンに向かう列車に乗り込んだ。

天気も良く、どちらかというと暑いくらいだったのを覚えている。列車の窓から入ってくる乱暴な勢いの風ですら、心地よいくらいであった。普段から10月でもあんなに暖かく、穏やかな気候なのだろうか、イギリスって。北大西洋海流とか季節風の影響なのだろうか。(適当なことを書いてみたり)

ともかくブライトン滞在中は、毎日、異様に暖かかった。その年は夏からヨーロッパに滞在していたので、これは非常にありがたいことだった。というのも、バッグに入っていた衣服は、どれも軽装・・・とてもじゃないが、ヨーロッパの過酷な寒さを乗り切れるようなシロモノではなかった。結局、ワタシはあの3ヶ月、同じ服を繰り返し着続けていたのね・・・そういや洗濯は、ユーゲントヘアベルゲJugendherberge(ドイツ語でユースホステルの意味。ブンデスリーグの応援に行く人は使ってください。)のコイン式洗濯機を使っていた。

もとい、ブライトンの話。

ブライトンの駅に降り立ち、インフォメーションでホストファミリーの住所が書かれたメモを見せてバスの番号を教えてもらった。バスの運ちゃんに降りるバスストップを面倒臭そうに教えられ、何とかカントカ、ステイ先の近くまでやってきた。

そう、思い出したが、ホームステイはウィーン大学でドイツ語研修を受けていた時にようやく決まったのだった。その年の8月に日本を発ったのだが、それまでにステイ先が決まらなかった。当時はインターネットなどという便利な通信手段もなく、どうしたものか思いあぐねた結果、せっかくウィーンで3週間も滞在するんだし(ウィーンでの話は「ウィーンひとり暮らしの話」を参照ください)、郵便で情報を取り寄せることにしたのだった。ホームステイ手配を頼んだ協会にシツコク国際電話を掛けて、エアメールで何とか滞在先の情報を寮に送ってもらったのだ。

しかしとっても哀しいことに、封筒に入っていたのは、住所が書かれたメモ程度の紙っ切れが1枚。

地図もない。

その封書を手にしたウィーンの寮でもそうだったが、ブライトンのバス停でも途方に暮れるハタチ。

日も暮れて、空はすっかり桃色のような、紫色のような、ともかく何だか黄昏れていた。

つづく。
英語で暮らす話、その5「ロンドンを観光する、後編」
ロンドンには、市内のあちこちに広大な公園がいくつもあるようで、非常に贅沢な都会だと思った。いくら待ってもホームズ氏は帰ってこなかったので、仕方ないので近くにあった公園で散歩でもしてみることにした。そうする内に、誰かがモリユに事件の解決を依頼してくれるかも知れない。(いつの間にか自分が探偵になった気分になっているが、ロンドンは実に平和な町である。)

天気もよろしく、公園での散歩やジョギングを楽しむロンドンっ子とたくさんすれ違った。広い芝生スペースがあり、池があり、林があり・・・あぁ素敵。木立が日除けになっていた小道の脇にベンチを見つけて、そこに座ってランチ代わりにナッツを食っていると、どこからともなくリスが足下にやってきた。

ビックリした、こういう小動物に絡まれるのは、人生でも初めてのことだった。

モリユのナッツをじ・・・っと見つめている。

・・・つぶらな瞳がとってもキュート。(はぁと)

・・・というか、非常に食いにくい。そもそも、こういう小動物は人間に近寄ってはいけないんじゃないのか?自然の掟に逆らってまで、そんなにこのナッツが欲しいのだろうか。

試しに、ひと粒差し出してみた。

なんと、そのリスはヒトの指からナッツを取り上げて口の中に入れた。

・・・小さな手がとってもプリチー。(はぁと)

・・・というか、野生魂はどうしたのだ。そもそも、こういう自然に暮らす小動物が、こんな無防備にヒトからエサを貰ってはいけないんじゃないのか?もうコイツは飼いならされているのだろうか。

そのうちに、小さな子供連れの家族がやってきて、リスがヒトからナッツを受け取って食ってる姿に魅了され始めた。子供に残りのナッツを袋ごと進呈してあげたら、とても喜んでもらえた。モリユがあげるより、金髪の子供がリスにナッツをあげる姿のがサマになっていた。いかにもロンドンの休日ではないか。

そんなラブ・アンド・ピースなロンドンを満喫して、夕方にはいよいよホームステイ先の町・ブライトンに向かった。

まだまだ続く。ようやくホストファミリーんとこに着きそうだ。


英語で暮らす話、その4「ロンドンを観光する、前編」
駅裏B&Bの美味しい朝食で腹を満たした後、再びヴィクトリア駅に戻ってバックパックをコインロッカーに預け、ロンドン観光に出かけることにした。天気も良いし、美味しい朝食だったし、元気いっぱいである。

そのようにテンション上げて改めてロンドンの町を見てみると、ウムム、なかなか楽しげである。

赤い二階建ての、いわゆるロンドンバスというヤツがロータリーにスタンバイしていたり、地下鉄の降り口には赤地に白抜きで「サブウェイ」と書かれた有名なデザイン・ロゴの看板があったり、テムズ川を見に行くとビッグベンが見えたり、コヴェント・ガーデンは可愛らしいお店がたくさんあったし、ピカデリーとかハロッズ百貨店とかナショナルギャラリーとか、日本でもお馴染みのロンドン風情をあちこちで体感するうちに、ワタシもうっかりロンドンっ子になった気分である。(落ち着け、観光客。)

昨晩、切り裂きジャックに怯えていた自分が全く信じられない。勝手に怯えていただけだが。

一番の思い出はマダム・タッソーのロウ人形館と、ベイカー街のシャーロック・ホームズ邸、その近くにあった広い広い公園(名前忘れた)でのヒトトキだった。

マダム・タッソー館というのは、つまりは蝋人形の館で、いろんな有名人のマネキンがいっぱい並べられていた。人形の量やその精巧さには驚かされたが、それを見るために集まっていた観光客の多さにも驚いた。週末ということもあり、入口から建物をぐるりと囲うように行列が出来ていた。ガイジンも並ぶんやな、と思った。

芸能人だとチャップリンだとかプレスリーだとかビートルズだとか・・・でもずーとるびはいなかった。残念である。マイケル・ジャクソンもいたが、まだ整形前の、スリラーとか歌ってる頃の彼なので、そんなマイケルを見たドイツ人家族はゲラゲラ笑いながら「あぁ、そっくり。黒い時のマイケルに。」としゃべっていた。彼らは終始、毒舌ファミリーだった。

政治家コーナーには、そこはイギリスなのに何故か歴代アメリカ大統領が並んでいた。レーガンさん、ブッシュさん(08年現在のではなく、その親父さん)に挟まれて、当時はまだ新人だったクリントンさんが演説台にいた。近くには何故かゴルバチョフさんもいた。そして何故かロイヤルファミリーが仲良く並んでいた。

ベイカー街のホームズ邸の住所には、ちゃんと彼の住まいが博物館として運営されていた。「主人は今、留守にしております」なんていう感じで、ホームズ氏が車を乗り付けて帰ってきそうな、そしてワトソン君と事件について論議しながら玄関から入ってきそうな雰囲気を醸していた。もちろん建物の内装も、小説や映画の雰囲気をそのままに、ロンドンの古き良き時代を思わせる設えだった。背の低い一人掛けのソファがあり、そこに座ってモリアーティ教授の事件を推理したかったが、ご主人以外は誰も座ることは許されていない。何かと残念である。


英語で暮らす話、その3「B&Bとやらに泊まる」
インフォメーションのお兄さんは、そんな慌てん坊の日本人に対して、非常に親切に世話を焼いてくださった。ロンドンのホテルは高いのでB&Bに泊まると良い、というようなことをおっしゃった。

B&B・・・ナニそれ。

しかしお兄さんは、地図も予備知識も持たずに夜に入国したバカな日本人に対して、さらに親切に世話を焼いてくださった。B&Bは、ホテルよりも安いランクの宿なのだと説明してくださった。そして、手元のリストには載ってないけど、この駅のすぐ近くに自分の知り合いのお爺さんが経営しているB&Bがあるから・・・と分かりやすい地図まで書いてくださった。

さすが紳士の国、イギリス。その首都・ロンドンで働くお兄さんだし、かなりジェントルマンだった・・・。今思えば、あのお兄さんと結婚しておけば良かった。(極論)

地図に従って線路を引換えすように駅裏をしばらく歩くと、意外にも静かな住宅街になっていた。お兄さんオススメのB&Bとやらは、高くて細長い建物で、すぐに発見できた。一見、普通のお家みたいだったので、どきどきしながらドアベルをリンゴンリンゴン鳴らしてみたところ、優しい笑顔のオジイが出てきてウェルカムと言った。

オジイによると、どうやらインフォメーションのお兄さんが事前に電話をしといてくださったらしい。まったく、彼はどもまでもソツのない紳士であった・・・やはりあのお兄さんと結婚しておけば良かった。(くどい)

オジイはこの無作法な時間にチェックインしてきた不審な日本人を、心得たように温かく迎えてくださった。でも他のお客さんのためにも、シャワーは夜中の12時までに済ませてくれ、とのことだった。オッケーオッケー、もちろんそうさせていただきたい・・・そしてトットと眠りたいのだワタシ。(と、英語で言えない。)

切り裂きジャックに怯えながらのロンドン到着であったが、ここが紳士淑女の国であったということを思い出した夜であった。

さて、後から英語の学校で仕入れた情報だが、B&B(ビーアンドビー)というのは、イギリスならではの民宿の総称とのこと。ベッドとブレックファスト(布団と朝食)の略で、一世を風靡した伝説の漫才コンビのことではない。(古!)普通の民家ながらも、空き部屋を宿としてお客に寝泊まりさせるところが始まりらしい。副収入として、ちょいと大きめのお家をお持ちの人は普通にやってるらしい。

ホントかどうかは面倒なのでモリユは調べない。知りたい人は自分で調べるように。

ともかくも、ロンドン到着初日の宿として、爽やかジェントルマンのインフォメーション兄さんにご紹介いただいたB&Bは、その発祥を思わせる素朴な営業形態だった。

チェックインの時に親切にしてくださったオジイが宿主だとは思うんだけど、朝ゴハンの準備をしてくださったのは恰幅の良い元気なオバチャンだった。家庭的な明るい食堂の一角に座らせていただき、スクランブルエッグだとか、よく焼けた小さいスライストーストだとか、カリカリに炙られたベーコンだとか、プリプリに茹でられたウィンナーだとか、他にもナンダカンダとテンコモリ状態のプレートを目の前にドンと据え置かれ、勢いよく「コーフィー?ティー?」と尋ねられた。イギリスといえばのティーを頼んでみた。オバチャンはニッコリとカップにティーを注いでくださった。

オバチャンの笑顔もお茶も、こぼれんばかりの勢いで、楽しく明るいイギリスの生活を予感させていただいた。切り裂きジャックに怯えていた前の晩の自分が信じられない。(勝手に怯えてただけやけど。)

つづく。って、なかなかホームステイ先(本題)にたどり着かない・・・
英語で暮らす話、その2「インフォメーションにて」
切り裂きジャックに怯えながらロンドン・ヴィクトリア駅に降り立ったのは、やはり夜の9時を回った頃だった。

当時のモリユがうろついていたヨーロッパといえば、週末は銀行だけでなくスーパーもしっかりお休みで、直前までフラフラしていたルーマニアなどは特に田舎であるためか、9時といえばもう真夜中だった。そのため、新しい町やら国に入る時は、なるべく早い時間に到着するようにしていた。

そういえば、いつだったか岡山の倉敷に旅行に行った時、夕飯を食べようと夕方6時くらいに旧市街の近くを歩いていたら、地元のお婆さん同士で「では、おやすみなさい」という挨拶をしていた。

日はまだ沈まぬ夏の6時のお別れの挨拶が「おやすみ」・・・もう寝るの・・・か?それとも岡山では「こんばんは=おやすみ」なのかも知れん。(岡山県民の方、詳細をお願い。)

もとい、ロンドンに夜の9時に降り立った話。

こんな遅い時間に見知らぬ土地に来てしまって、宿探しなどできるんだろうか・・・複雑な殺人事件に巻き込まれたらどうしよう・・・「消息不明の日本人学生、テムズ川にて遺体で発見」などという派手な見出しで新聞に載ってしまうんだろうか。お父さんお母さん先立つ不幸をお許しください。(大げさ)

ビクビクしながら、とりあえず駅の中をうろついてみることにした。

インフォメーションの看板を見つけて近づいてみると・・・営業しているようである。すすすすす、素晴らしい!!!と、鼻息も荒くガラス張りの近代的な観光案内所に突進した。

中には若い爽やかイングリッシュマン(推定)がスタンバイしていた。

モリユ「ア、ア、ア、アーユーインフォメーション?」(直訳:ア、ア、ア、アナタは情報ですか?)

イングリッシュマン「・・・イ・・・イエス、フニャニャララ、ニャラ?」(推定:そ、そうですね、御用はなんですか?)

モリユ「アイ ウォント トゥ ファインド ア ホテル!リアリー!バット チープ!アンド ニア ヒア!」(直訳:ワタシはホテルを発見したいのです。本当に。でも 安い。そして、ココに近い!)

・・・ワケワカラン。

でもホントに、こんな感じの英語であった。言い訳するなら、その日の朝まではドイツ語圏で暮らしていたし、つたないながらもどこでもドイツ語で済ませてきたのだ。しかも予定外の行程で思ってもみないところに来てしまい、さらに切り裂きジャックに怯えてもいる。

すっかりおかしなテンションになっていた。多少おかしな英語になっていても許してほしいと思う。

しかし、そんなに動転していながらも「今晩泊まる宿は、駅から近くて安いホテルがいい」という欲求はしっかり伝えようとしている欲張りさんだったりする。聞かれたら答えりゃいいのさ、そんなことは。相手は、世界の観光都市ロンドンのインフォメーションの窓口を仕切っているスタッフである。ワタシのようなバカな観光客を相手にする手管の長けたプロではないか。

バカだな自分。思い出しても哀しくなるぜ。

つづく


英語で暮らす話、その1「船でイギリスに渡る」
モリユのヨーロッパは、常にミュンヘンから始まる。

初めての海外体験がミュンヘンでのホームステイだったこともあり、どこへ行くのもここを拠点にすることが多かった。

そして、ヨーロッパを放浪していた95年の秋、イギリスのブライトンという町で2週間ほどのホームステイを予定していたワタシは、なぜかその時もミュンヘンから一気にイギリスに渡った。

機会のある人は、世界地図で確認してみよう。

・・・いくらでも日数はあったのに、1日で移動しようとするなんてバカ者のやることかも知れない。

なんでそんなに切羽詰まったスケジュールになったかというと、放浪中というお気楽な身分に任せて、思いついたようにルーマニアまで行ってしまったことによる。ドイツ到着時に思いつき、ボンのルーマニア大使館を探しまくってビザを取った記憶がある。当時は東に行くという行為は、とっても面倒なことだった。ユーロ万歳。

遠かった、ルーマニア・・・また機会があれば、ゆっくり書き残しておこうと思う。

イギリスに向う話に戻る。

ミュンヘン中央駅を朝6時に出発し、電車でドイツ中央部まで北上。確かケルンで一度電車を乗り換える。そこからなだらかな丘陵を眺めながらアーヘンというベルギーとの国境の町まで行く。さらにそこで電車を乗り継いで西へ。ベルギーの首都ブリュッセルを通り、電車は終点のオーステンデという町のちっちゃい港にそのまま入って行く。電車を降りたら、すぐにイギリスへ渡る船に乗れるしくみになっていたように思う。

船に乗る前に、簡単な入国審査のインタビューを受けた。

1日のうちにいくつかの国境を越えるというのは、不思議な体験だった。ドイツ語、フランス語、英語・・・電車の中で、周りのお客さんのおしゃべり言語が移り変わっていたのが面白かった。

そうやって迷うこともなく押し流されるように乗った船は、数時間後にイギリスの小さい港町に入った。

日はどっぷりと暮れていた。

モリユは、船の着いた町で宿泊の予定にしていたのだが・・・

何も無ぇ・・・

赤茶色のレンガ造りで、趣のある港町であることは分かるが、どこにも「お客を泊めるのが商売です」と臭わせるような建物は無かった。

仕方ないので、レンガ色の港から送迎バスにて国鉄の駅まで移動。駅前なら何かあってしかるべしだな。うむ、大丈夫ダイジョウブ・・・・

大丈夫ではなかった。

大阪にある自分の家の最寄り駅の方が絶対に賑やかに違いない、と思った。

駅前はガランとしたロータリーになっており、道路の向こうには無味乾燥な現代風の住宅が軒を連ねていた。そしてやはり、見渡す限りどこにも「お客を泊めるのが商売です」と臭わせるような建物は無かった。

思ってたトコロとはかなり違う。

不安を通り越して、何もない駅前に恐怖すら感じてしまった。

入国前にしっかり調べておけよ自分。

仕方ないので、そのまま、駅に入ってきたロンドン行きの電車に乗ってみた。

ロンドンと言えば、ワタシにとったらシャーロック・ホームズとかエルキュール・ポアロとか、世界的に有名な探偵が集ってもなお商売繁盛しているということで、世界でも有数の犯罪都市というイメージがあった。

そんな危ない町に着くのが、夜の9時。しかも、週末。

切り裂きジャックに襲われるかも知れん・・・

車窓は闇、ワタシの心もお先真っ暗であった。

つづく。
チミの名は、ウナギイヌ。
やらずにはいられない、ウナギイヌ対決。

うないぬ


VS

ウナギイヌ


・・・うぬぬ、時代の隔たりを全く感じない。


時空を越えたな、ウナギイヌ。


お大師様とともに、その2
高野山にて、非常にインパクトの強いヤツに出会ったので、追記しておきたいと思う。

うないぬ

ヨッ!

・・・こやつ、一体ナニモノなのだろう。金剛峰寺のとある1室に飾られていた美術品(と、思いたい)なのだが、異様なまでの存在感だった。

ちなみに、寺院内は撮影禁止である。この画像はとある個人の方のHPより拝借致した。やはり、こやつを撮影してしまった方がいらっしゃるのね・・・ちょっち嬉しかったり。(ワタシは勇気がなく撮れなかったけど。いや、それでいいのだ。)

我々は、孔雀の絵の前で陽気なポーズを取っているこやつを「ウナギイヌ」と呼んで、旅の間中、ネタにしておりました。

ありがとう、ウナギイヌ。正しくはアンタ、なんていう美術品なのさ。







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